鋸山で、石切り職人をたどる ー後編
日本寺北料金所を過ぎると、様子が変わったことに気づきます。そこは“観光コース”ではなく、ほぼ上級ハイキングコースのように感じられます。この日は雨上がりということもあり、足元が滑りやすいことも要因の一つではありましたが、さすがここは修行を積むために存在した『霊山』と言われるだけあって、街中を歩くようなカジュアルな服装は似合いません。むしろ軽登山の格好が一番ふさわしいかもしれません。
写真の場所は約90メートルの落差があるそうです。もちろんこれは自然のものではありません。石切り職人が上から下まで膨大な量を切り取った結果なのです。この写真を撮った足元も絶壁になっており、一本のロープのほかはぼくを留めるものはありませんでした。
巨岩が横たわる登山道。よく観察してみると元々ここにあったのではなく、上から転がってきた岩のように見えました。その重量たるや相当なものでしょうね。周辺にもいくつか似たような感じで大きな岩が転がっていました。その巨岩と、切り出した石が積まれた間の階段を下り目的地へ向かいます。その階段ももちろん職人が切り出したものです。なので、この辺りはいたるところに人間の手が加わっているのを観察することができます。
さて、滑り台のようにも見えるこの石積みはいったい何だと思いますか。これを人間が積み上げたと思うと想像力をかきたてられますね。
階段上の石積みの隣に見える滑り台のような斜めの石は『樋道(といみち)』 と呼ばれ、切り出した石を滑らせて下まで運んだ、言わば運搬経路だったのです。この経路でさえ、職人が切り出した石で作られているのです。
この地で最後まで石切りに携わった職人一家の石切り場に刻まれた『安全第一』の文字。一部が消えています。この場所も元々は山。上から順番に石を切り取った跡が、横に長く、縦に短く、筋状に刻まれています。
昭和30年に入ると栃木県の大谷からチェーンソーと呼ばれる機械が導入され、より大量の石材が生産されました。写真はその残骸です。矢印で示した2箇所に回転する刃があり、その幅の石が切り出されます。しかし、お話によれば大量に生産できればそれなりに収入になるのかといえば決してそうではなく、その分、石材があふれ価格の暴落につながることもあったようです。
人力で運んでいた石材もやがてこのような索道(リフト)によって麓へ運ばれるようになりました。先ほどの『樋道』や女性による車力(後述)は廃されていったことでしょう。
こちらは昭和40年代から導入されたブルドーザーだそうです。この高い場所に上がってくることはできませんから、分解した状態で麓からこの場所に部品を運びこの地で組み立てたそうです。いまはもう動かない、雨ざらしの錆びたその車両。背後に迫るその岩肌と明らかに異なるそのカラーは、何かを私たちに語りかけているかのようです。
東京の最高裁判所の建物をご覧になったことがありますか。それが鋸山を彷彿とさせるのか、鋸山が建物を思いださせるのか。どちらも人口の造形。あなたはどう感じますか。
この場所も本来は山があったところです。上から下へ、手前から奥へ。石切り職人たちの手が触れなかったところはなかったでしょうね。大空間として広がっているこの場所は、現在はコンサートやイベントの会場として用いられ、長い間ひっそりとしたその場所に新たな息吹を与えているかのようです。
この道は『車力道(しゃりきみち)』と呼ばれ、かつて女性たちがいわゆるリアカーのような台車におよそ80キログラムもある石を3本載せて麓まで運んだ道です。よく見ると2本の轍があるのがわかります。何度通ればこのような轍になるのでしょう。しかも下まで運んだら、その台車を再び運んで上がるのです。私も実際のこの場所を歩きましたが、決して楽な道のりではありませんでした。石を3本、約240キログラムです。
こんな狭いところが幾つもありました。千葉は比較的高い山が少ないと言われますが、鋸山近辺は谷も多く、勾配もきついところです。背後に重量物を運び、足元が良くなく滑ったら下敷きになる可能性もある、そういった状況で女性たちは石を運んで働いたのですね。その道は今はもう苔むしています。ハイキングの人たちがここを過ぎ行きます。
この場所は昭和30年代に導入された索道(リフト)の到着地点です。山腹から切りだされた石材はここまでリフトで降ろされ、車に積み替えられて運ばれて行きました。昭和60年ころ、その石切りに幕が降ろされる頃まで存在していたのかもしれません。
石切り職人の旅はこのゴール地点で終了です。
こちらの立派な石造りの建物をご覧ください。下から4段目から上は比較的新しい印象を受けますが、同行させていただいたみなさんは一様に驚きを隠せないようでした。
この見事な石のカーブ、すごいですね。かつてはこの金谷の街の至る所にこのような金谷石の石垣や、建物が存在していたことでしょう。これらの石は、地元金谷のみならず、対岸の神奈川県や東京都、埼玉県のあたりまで届いたようです。案内してくださった金谷ストーンコミュニティの鈴木裕士氏によると、これら金谷石で造られた石垣や建物が壊される情報があった際には現地と連絡を取り、その石を回収する活動も行なっているそうです。
この機会にあなたの周囲にも目を向けて金谷石、房州石の存在を感じてみてください。きっと身近なところにそれはあるはずです。
(Ken)