360度のパノラマで夕陽に臨む。富津岬の展望塔
富津岬は千葉県立富津公園の一角をなす、いちばん目立った場所と言っても過言ではありません。岬のほぼ突端にあるこの建造物、珍しい形をしていると思いませんか?
実は記念碑的要素のある建物なのです。正式名称は『明治百年記念展望塔』と言います。
五葉松をデザインに取り入れたその斬新な展望台は1971年(昭和46年)に完成しました。途中、時間の経過もあり建物の幾つもの部分の痛みが激しく入り口が一箇所しかない時もありました。2004年に改修工事が行われ、今ではその美しい状態を保っています。1971年と言えば、その年の4月に富津、大佐和(おおさわ)、天羽(あまは)の3町が合併し、9月市制施行となり、『富津市』が誕生した年でもあります。
高さ21.8メートルからの眺めは私たちになにを見せてくれるのでしょうか…。みなさん同じ方向を向いています。それぞれカメラを手に何かを狙っているかのようです。なにが見えるのかな?
そう、この日は久しぶりにスッキリと晴れ、海の向こうの横須賀方面に沈む夕陽を狙っていたのですね。一眼レフの方もスマホの方も携帯の方も、思い思いに夕焼けを撮っていました。
ぼくは夕陽は置いておいて、展望台から360度のパノラマを見入る人々を撮っていました。隙間から富士山も見えます。なんだかんだ言って皆さん、夕陽と眺めのいい高いところがお好きですね(笑) だってほんとにいい眺めなんですもの。
富士山を真ん中に、左には南アルプスの一部が、右には丹沢から秩父にかけて、山々の広がりがとても良く見えます。手前とその向こうの右側に見える島は“海堡”と言って、明治時代から大正時代に築かれた軍事要塞です。つまり人工の島。第一海堡から第三海堡までありました。
現存するのは第一、第二で、第三海堡は航路の安全水深を確保するために長い工期をかけて解体されました。この第三海堡については、現代の土木建築技術をもってしても解明されない当時の高い技術が確認されており、引き上げられた建造物の一部は、神奈川県横須賀市夏島町の夏島都市緑地内や神奈川県横須賀市平成町のうみかぜ公園に展示されています。その他の遺構のあるものは綿密に調査され、別のものはこの場所から2,000キロ離れた海中にて漁礁として海中投棄されました。30年間に及ぶ難工事でしたが、竣工からわずか2年後の関東大震災で、大破、崩壊してしまったのでした。
同じ海の向こうには、要塞を凌駕するような横浜の大きな建物が当たり前のようにそびえ立っています。300ミリくらいのカメラレンズで撮影するとこれくらいの大きさに見えます。まるで海の上に浮かぶ水上都市のようですね。
アクアラインです。まるで天橋立(あまのはしだて)みたいですね。海から出て海に沈んでいくようにも見えます。この橋の上を毎日通っている方もいらっしゃるのでしょう。現代社会の土木建築技術も本当にすごいなぁ、と思います。この日はぼんやりでしたが、“東京スカイツリー”も見ることができました。
完成してから42年の『明治百年記念展望塔』、ご一緒に登ってみませんか。この造り、なかなか興味深いものがあると思います。てっぺんまで登ってみると、この構造物がいくらか揺れているのがわかります。
日中は遠く大島からグルっと回って横浜、川崎、東京の方まで、夕方はきれいな夕陽から夜景に至るまで、地味かもしれないけれど、何にも代えられない時間を過ごせると思いますよ。 この週末、お出掛けになってみませんか。
明治百年記念展望塔 [富津市]
(Ken)