富津に古墳が! しかも美女伝説まで残ってる
この、水と緑に覆われた写真はなんだと思いますか。そう、古墳ですね。日本で最も有名な前方後円墳『大仙陵古墳(仁徳天皇陵)』で、サイズは長さ486メートル、高さは35メートルもあり、当然のごとく世界最大だそうです。
実は富津市には、これほどの規模でないのですが、『内裏塚古墳群』と呼ばれる数多くの古墳があるのをご存知でしょうか。
この写真は富津市上空を通過する飛行から撮影されたものです(読者様のご好意により加工、掲載しています)。真ん中辺りに『内裏塚古墳』がありますが、実はその周囲に大小様々な前方後円墳、方墳、帆立貝形墳墓などが存在しています。
1年ほど前『内裏塚古墳群西谷古墳』の現場でお会いした千葉県教育振興財団文化財センターの加藤氏によれば、この辺りは近くの海から上陸した隊商が茨城へ抜けるための通り道になっていたと思われ、その当時の人々との関わりで力をつけていった権力者たちがこの一帯に存在していたのかもしれない、ということでした(非公式のお話として)。
こちらが内裏塚古墳です。方墳側から後円部の方を臨んでいます。森で覆われていますが長さは約144メートル、南関東では最大規模ということです。後円部については直径が約84メートルもあります。ではさっそく中へ入ってみましょう。
予想に反して藪はなく下草がきれいに刈られて歩きやすくなっていました。この歩いている部分も実は当時の人々が築いた盛土なんですね。大型ダンプにしてどれだけの土砂が人力によって運ばれ造形されたのでしょう。権力というものが大勢の人々を動かしました。
遠くになにかが見えます。
この場所が石室があった場所です。実は明治時代にすでに発掘調査がされていて、石室の石の上にこの記念碑が「ドンッ!」とすえられています。
『…二体の人骨及び鉄製武器類が出土した。 北側にあった人骨は、胸の前で腕を折り曲げるように埋葬さた形で、整然と仰向けに埋葬されていた。 武器類として鉄直刀2、鉄角棒1、鉄鎌1、長刀1他が出土した。他に青銅鏡1面(直径13センチ)などが出土した。 朝鮮半島製の金銅製胡籙金具や鏑矢が出土している。墳丘には円筒埴輪列が三段めぐり、家型埴輪や人物埴輪も置かれていたものと考えられている…』
ーWikipedia『内裏塚古墳』より
この地には美女伝説があることを、ぼくは今まで全く知りませんでした。その美貌に惹かれて色々なところから男性がやってきたという伝説です。実態は不明ですが、奈良の時代、現在の茨城県で噂を聞いた万葉の歌人『高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)』がその歌のなかで彼女のことを歌い、その内容から奈良時代の女性像をほんの少しだけ垣間見られるものとなっているようです。
内裏塚古墳がこの女性『周淮珠名(すえのたまな)』のものとも言われ、そうだとすると「彼女は祭祀の役割をする卑弥呼のような存在だったのか!?」と、古代ロマンをめぐる想像は果てしないものがありますね。
参考:装飾古墳今昔紀行 Travel to Decorated Tombs in Japan、デン助の新舞子ビーチコーミング、文化遺産オンライン
(Ken)