岩肌にくり抜かれた仏。歴史が語る過去の遺産
photo via 二つ目草の写真帖
『磨崖仏(まがいぶつ)』または『磨崖仏群』というのをご存知ですか。例えばトップの写真は有名な大分県臼杵(うすき)市の磨崖仏群です。そのほとんどが国宝に指定され、千年もの時を経てこの世代に残っているものと言われています。
磨崖仏とは、岩肌や岩肌をくり抜いたその壁面に彫られた仏像群とでも言いますか、いわゆる彫刻のようなものとお考えいただければ想像に難くないと思います。
実は富津市内には、これほどの規模ではありませんが磨崖仏が掘られているところがあります。2箇所ほどレポート致します。
薬師寺の磨崖仏
富津市竹岡9番地にある『薬王寺』の敷地内。 この境内の入り口に大きなイチョウの木があります(これも実は特別なイチョウの木だそうです。後日あらためてご紹介しますね)。
本堂の前には大きな植木があって、あまりにも成長したためか、しっかりした支えがありました。樹齢何年でしょう、樹木って長生きですよね。
その本堂の右側にあるのが『薬師堂』。1812年頃に再建されたもののようです。情報筋によれば『松平定信』が関わっていたとされています。
一見、古いお堂が建っているだけのような感じですが…。
この奥の扉、この扉の向こうには古代ロマンの空気が流れているのです。では、一緒にと扉を開いてみましょう。エイッ!
ハイッ! 岩をくり抜いて作られた洞穴のような場所に仏像の彫り物がいくつも彫られています!
大きめの観音像を中心に小さな磨崖仏が両方向に彫られています。日中のかなりの日差しの日でしたが、洞内は薄暗く、空気も冷たく流れが止まっているかのような感じでした。これらのものを誰がいつ彫ったのでしょう。薬師堂が再建された当時もすでにそこにあったのでしょうね。
岩谷観音堂の磨崖仏
薬師堂から国道127号に出て大貫方面へ、湊橋を渡り、すぐの信号を右折、上総湊の商店街を抜け鴨川方面へ数分走ると、右に湊川、左側に山が迫っているところになります。ここをゆっくりと進んで行くと山側に『岩谷観音堂』という立て看板があります。この急でキケンな階段を必死で登りました(汗)。
比較的最近に改装されたようで、屋根も葺き替えられ、壁も張り替えてありました。周囲も藪だったのがきれいに刈られていました。
では、ご一緒にこの岩穴の中に入ってみましょう。
ハイッ! いかがですか、この雰囲気!
なんだかタイムスリップした感じです。“洞穴”内には冷たい空気が流れていました。日が高い時間に入ったので、比較的見通しがきき、入り口においてあった懐中電灯を点けなくても十分見えました。この入口に彫られているのは仁王か何かですかね。風化が進んでいるものの原形をとどめています。
洞穴の両側に磨崖仏が彫られています。こうして見ると壮観ですよね。お堂の後ろ側、左右の裏側にコの字型に彫り抜かれた”洞窟”は、すべて人手によってコツコツと作業がなされたのでしょう。伝説によれば奈良時代の高僧『行基(ぎょうぎ)』が一夜にして彫ったと言われています。伝説です。
それにしても最も驚かされたのは、次の光景でした。
なんと、磨崖仏とともに過ごせるくつろぎの空間が出現!
「あなたも磨崖仏と一緒に涼しい、やすらぎの時間を過ごしませんか?」なんて宣伝文句が似合いそうなセッティングになっています。くつろぎすぎて後ろに落ちないように保護柵も設けられていますから安心。
それにしてもこんなありがたいセッティング、どなたが考えついたのでしょうか…。
毎年6月と8月10日にこの奥の扉が開かれる『ご開帳』があるそうです。その中には『阿弥陀如来』や『観音菩薩』が壁面に描かれており、縄文時代の大きな石の棒が祀られているそうです。縄文時代…、ぜひこの目で確かめなくては!
いかがでしたか? このように、実は富津市には歴史にまつわるたくさんの遺跡があるんです。古墳や屋敷跡、城址など幾つもの遺跡や遺構があります。今後も取り上げていきますので楽しみにしていてくださいね。
今回の取材で撮影された他のたくさんの写真もぜひご覧ください。
富津市に実在する磨崖仏群 [via フォト蔵]
(Ken)